元所長が降格となり、もしその後何らかの報復があるのなら、ターゲットは私たち二人になることは間違いなかった。部長は報復などは絶対させない、と言っていたがそこに保証などない。
ほどなくして、もう一人の同期はさっさと異動希望を出して故郷のある営業所へ転勤となった。
裏でAさんが元所長に告げ口内容をしゃべっていることはこの時点では知らなかったが、これは大変なことになるかもしれない、と私は思った。
ところが想像に反して、元所長は降格になった2日後、私を呼んで言った。
「俺は俺の力不足でこうなった。これからは「兄貴」として、なんなら俺の下の名「祐一さん」とでも呼んでくれ。過去のことは水に流して仲よくしよう」
私は内心感心していた。
所長と一営業では収入にかなりの差がある。しかも降格人事の原因はほぼ全ての管理職に告知されていたため、収入の減少以上にその屈辱は大変なものだろう。
そんな状況の中、このセリフが言える元所長の胆力というか、潔さに私は正直ある種の感動を覚えた。
もちろん、部長がそれなりの訓戒と制御を裏で入れていてくれたことも良く分かった。
私はもともと彼が所長であったときから、私にないものをたくさん持っていたので、彼が嫌いではなく、むしろ好きであったといっていい。
それまでに仕えてきたひどい上司や社長に比べれば、十分尊敬に値する。
私は、これで手打ちとなったので、これまで以上に仲良くなれると思っていた。
所長からは降格したが、私にとって偉大な先輩であることに変わりはなく、これまでと同様に尊敬し、支えていこうとさえ思った。
しかし、それは私の勝手な思い込みであった。
今の時代、男女はどこまでも平等であるが、
「職場で起こる男の嫉妬は甘くみるな」
という過去の上司の言葉をこの後、私は強烈に思い知らされることになる。
その頃、私の営業所は相次ぐ退職者の補強が進み、数カ月以内に中途入社の新人が次々と配属される時期となっていた。
所長がいなくなったので、期限付きであるが大阪の所長が私たちの営業所の所長を兼務することになった。
私たちの営業所には月のうち数日滞在することになり、日々の報告や指示については全てメールや電話でのやりとりとなった。
新しい所長は以前とは違って、細かいことは一切言わない人間だった。
私が以前の元所長から指示されたことを深夜まで必死にやっていると、翌日携帯に電話がかかってきて新所長はこう言った。
「藤井さん。あんたはよう頑張るなあ。でも報告なんか別に翌日でもいいし、緊急のことなら電話くれたらそれでええよ」
「いいんですか。私は今まで絶対条件として教え込まれてきたことをやっているのですが」
「いやー、でもそんなに気を張りすぎて寝不足なったら、交通事故起こすかもしれんし、良い商談なんかできんやろ。それに、あんまり働いたらアホになるで」
終始このような具合だ。
まるで天国だった。私は数カ月ぶりに熟睡できる日を取り戻した気分だった。
唯一物足りないところがあったとしたら、具体的指示があまりなく、さらなる仕事の仕方を教えてくれるコーチ役がいなくなったことである。
一方元所長は何をしていたのかというと、立て続けに入ってくる中途入社の新人の刈り取りと、囲い込みを始めていた。
新人は当然ながら、月に数日しかいない大阪の所長から仕事の仕方を教わることはできない。
そこで、元所長は新所長に進言した。
「私で良ければ、しばらくの間私が彼らに仕事の仕方を教えておきましょうか。この地域特有の風土や顧客のクセなどもありますので、部下ではない人間に私のノウハウを教える義務は本来ありませんが、早く一人前になって数字を稼げる営業になれば、会社や所長の役に立つと思うのですが」
という感じである。
新所長はもちろんそれを承諾した。
時間のない兼務の所長にとっては、願ったりかなったりである。
そのときを境に元所長は新所長公認の「コーチ」となったのである。
そこで元所長はまず新人を順番に、自分の営業エリアへの同行研修を泊りがけで行うことの承認を取り付けた。
同行営業では、専門家としての営業マンの心構え、必要な知識、人を惹きつけるコツ、数字の見込みの立て方など、彼が持つありとあらゆるノウハウを新人たちに叩き込んだ。
しかも私たちに対するハラスメントまがいのスパルタ教育でなく、やさしく、分かりやすく、そして文字通り「兄貴分」のように振る舞い、緊張して入社してきた新人に配慮した良い教育を行っていた。
そして夜になれば一緒に飲みに出かけ、自腹で一次会から二次会までの費用を負担し、彼らとの親睦を深めた。
特に男性が殆どだったので、二次会では女性のいる店に行って、、ともに楽しみ、公私ともに急速な勢いで彼らとの距離を縮めていった。
(ちなみに女性も一人いたが、早々にセクハラをされたらしくそれ以降、彼女は彼に近づくことはおろか話しもしなくなり、そして辞めていった)
そして中途の新人たちに充分に自分の影響力が浸透したころを見計らって、こう言うのである。
「藤井には気をつけろ。あいつはとんでもない奴だからな」
そして、その後は、あることないこと言いたい放題。しかも説得力のあるトークで次第に私を悪者にしていくのである。
既に新人は元所長に心酔していたため、全てのことを鵜呑みにしていた。
私がこのように書けるのは、決して憶測で書いているのではない。
元所長側についていた後輩が後に私と仲良くなり、全てを話してくれたのである。
ついてに言うとその時彼は私にこう付け加えていた。
「あの頃、僕らが言われていたことは『藤井とは話すなよ。あいつは口が上手い。にこやかに話しかけてきても、自分の邪魔になるようだったら、すぐ本社にクレームをつけて俺みたいに立場を追われるようになるぞ』ということです」
「ですから、僕らは藤井さんの話をまともに聞いていませんでした」
元所長は私と仲良くする気など一切なく、告げ口をした私を許す気など最初からなかった。
最初に彼が私に言ったことは単に私を油断させるつもりだったか、一時ばかりのコメント程度だったのかもしれない。
このあと、私がされたことを列記しておおこう。